空気は吸って吐くもの(ドラマ「凪のお暇」より)

周りを見渡すと、自分の気持ちや考えをはっきりと表現するタイプの人もあれば、なかなか本心(本音)を表現しないタイプの人もいるのだなと思います。ひとりひとりに美学や信条があるのかもしれないなと思いつつ、そのひとの生きざまをもう少し知りたくなることが多いのは、職業柄も関係しているでしょうか。

 以前、乳幼児健診の仕事に就いていた際、2歳未満の子どもの様子で私が特に注目していたのは、“おもちゃの取り合いをどんな風にしているか”でした。欲しいおもちゃを他の子が持っている時に、(最初は貸してもらう術など知りませんから)ちゃんと取りに行くのか。そして、抵抗されたり、反撃されたとき、どのような様子を示すのか。また反対に、遊んでいるおもちゃを急に取られたとき、どのような表現や対処をするのか。この場面にコミュニケーションの源泉が凝縮されているように思うのです。

しかし昨今は、ここに早い段階で多くの親御さんが参入してこられます。特に子どもがおもちゃを取る側になりそうなとき、間に入り、その行動を阻止されることが多いのですが、取られる側のお子さんに“貸してあげようね”と説得する場合もあります。(親御さんの思いも重々承知しており、思うところはいろいろありますが、長くなるので割愛します)

 長い目で、コミュニケーションを考えたとき、まだことばが備わっていないこの時期に、しっかりと心(気持ち)を基に全身で欲求を表し、(うまくいくこともあるでしょうが)しっかり抵抗したり(されたり)、時には反撃したり(されたり)して、もみくちゃになっておくことが大切だと思っています。そして、そのなかで、まずは自分の気持ちを大事にしながらも、相手の様子もみながら、気持ちや行動をコントロールし、うまくいく方法を編み出したり、学んだりしていくのではないかと思うのです。

 人は、ことばの発達とともに、自分の気持ちや考えをことばで表現することが暗黙の裡に社会的な要請となっていきます。成長とともにコミュニケーションはどんどん高度になり、そして、心と身体でぶつかる人間関係は問題視されるようになりがちです。

この夏「凪のお暇」というドラマがありました。主人公の凪さんは、周りの空気を読んで、合わせてきた人。やがて、空気は凪さんの心身に行き届かず苦しくなり、会社を辞めて、自分のためにお暇を取ることを決めました。このドラマのかなり最初の方で、「空気は吸って吐くものなんだ」という決意のようなセリフがありました。私はそれを聞いて、「自分の中に浮かんだ気持ちを外に向けて表現するのは自然なことなんだ」というようにも受け止めました。

みなさんのなかには、「人生は控えめに、静かに過ごしていく」という方もあると思います。しかし、もしも今、自分の気持ちを言わない(言えない)ことで、苦しい、しんどい日々を過ごしておられるなら、安全な場所、信頼できる人との間で、少しずつ表現してみる練習を始めてみませんか。思っていることのすべてを言えばいいわけでもありませんし、うまくいくこともいかないこともあるだろうと思います。それでも、ある日ふと気づいたら、少し息することが楽になっていたらいいなあ、そのお手伝いができればうれしいなと思っているカウンセラーが学生相談室にいます。よかったら、まずはのぞいてみてください。

(カウンセラー 中川)

やる前が一番楽しい

電気情報工学科の七森です。
7月のブログ担当を務めさせていただきます。
お話をいただいた時から何についてお話ししようかと考えていたのですが,結果的に月末になってしまいました。

今回は夏休み前ということもありますので,趣味について少しお話ししようと思います。 趣味は何ですか?と問われた時に私は「釣り」と「車」と答えています。

「釣り」については中学生のころから始めたものですが,当時は池や川でブラックバスを釣るいわゆるバス釣り専門でした。(今は海釣り)
家から中学校を通り過ぎて,さらに今来た距離と同じほど行くと池がありました。
当時は中学生でしたが,朝4時に起きて釣りに行って6時30分に家に帰り,そこから学校へ行くようなことをしたこともあります。

こんな感じです。

さすがにやりすぎました。
真似して単位を落としても私は責任を負いませんので,真似しないでくださいね。

しかし,趣味とは不思議なもので一見面倒なこともすごく楽しく思えるのです。
個人的に一番面白いのは何といっても準備とメンテナンスです。
釣りに行くことを想像しながら,どんなルアー(疑似餌)を持っていこうとか,糸の太さは何号にしようとか。
どんな魚を釣るのか,何で釣るのか,どこで釣るのか,いつ釣るのか。

そんなことを考えながら準備をします。
釣りから帰ってきたら塩水に触れた釣り具をキレイに洗浄して乾燥させます。
こんなことがすごく面白いのです。


「車」の趣味はドライブもそうですが,車をいじることが好きです。
こちらはメンテナンスですかね。

車にはタイミングベルトと呼ばれるエンジン内のバルブのタイミングを合わせるために必要なベルトがあります。
通常走行距離が10万キロを超えると変えたほうがいいですよと言われるものです。

私はこれを「エンジンの中が見てみたい!」ということと「お金をかけたくない!」という二つの欲にかられ,自分で交換したことがあります。

写真がありましたので,載せておきます。

これは今でも非常に記憶に残っているいい体験でした。
真似して壊れても責任は負いませんので,真似しないでくださいね。(2回目)
自動車の整備会社でやってもらうことをオススメします。

これも,やるまでの準備が非常に大切でした。
まず中身をある程度理解して,どういう工程を経て交換するのか。
頭に入れてからでないと分解して分からなくなったら大変ですからね。
以前の毛利先生のブログでも段取り八部という言葉がありますね。
(私の場合,マンガみたいに最後ねじが1本余ったことは内緒です笑)

こんな中身を理解したり,想像して準備したりすることが好きです。
しかし私は高専出身でもなければ,機械科でもありません。

面白いことをすることに理由は必要ないと思います。
自分はこうだから,こうあるべきだ。と勝手に決めつけずに自由に好きなことをすればいいと思います。

ただし,「本気でやる」こと。

それが面白さを引き出す秘訣だと考えています。
また興味がある人はお話ししましょう。

最後に,一言。
夏休み,勉強も忘れずしましょうね笑

6月、思い出の味のひとつが遠ざかる

建設システム工学科 渡部昌弘

6月6日、広島県尾道市内にある、某老舗中華ソバ店が無期限休業に入るというニュース記事を見てしまった。寝耳に水とはこのこと。我が家では、というか特に尾道で青春時代を過ごした父にとっては、老齢期に起きた一大事である。私にとっても実家の家族にとっても思い出の味であり、SMSにそのネット記事の概要や休業の理由などが飛び交い、皆大きな喪失感を感じたものである。

その中華ソバ店・朱華園(しゅうかえん)は、我が家では、というか地元の人たちも「シュウさん」と呼んでおり、ラーメンの特徴は、大量の背脂と甘みを感じるが喉がむせるくらいの濃いめの醤油スープ、細く平たいがモチモチとしたストレート麺といったもので、尾道ラーメンの原初とも言われている。もっとも知名度が上がったのはある作家が雑誌で紹介したためということらしく、その記事の該当部分を抜粋した銘板が飾ってあった。

初めて食べたのは、小学校高学年の頃に法事で尾道に行ったときであったと記憶している。当時から行列ができており、(中華料理店みたいなものはともかく)ラーメン店自体行った記憶がなかった上に、更に並んでまで食べた初めてのラーメンであった。ところが、子どもが食べるにしては、粗漉しで(というか漉していたのかよく分からないくらい大きい)塊感のあるそこそこマッシブな背脂が地味に重く感じられ、味も濃いことから「スープは飲んだらダメ」とか言われていたような記憶もある。結局飲んだけども。

その後、高校以降も家族旅行で(というか父方の親戚に会いに)尾道に遊びに行ったときに何度か店舗で食べたのだが、年齢を重ねる毎に旨さに気づいていった。といっても体重が52kg前後で推移していた20代半ばまでは、食が相当に細く、身の回りの出来事などもあって脂がかなり重たかったと記憶している。振り返ってみると、人生の様々な局面を思い出させるキーアイテムのようにも感じる。

さほど頻繁に尾道には行っていなかったが、年1、2回くらいのペースで親戚から持ち帰りセットを送ってもらっていた。あるときは、そのスープ、麺、具材を使って、お替わり代わりに家族で市販の麺を替え玉にしてどれが合うか等々試したりもした。縮れ麺や中太麺、細麺等々試したが、中々合うものがなく、組合せの妙に家族一同感心した(もはやスープを消費するだけのマラソンのような気もしたが)。ある時期は、しばらく実家の年越しソバとして存在感があった。(※地方配送はなく、持ち帰りセットがあり、地方発送は客自身が勝手にする、ということだったらしい)

以上が、その「朱華園閉店」で思い浮かべたことである。書いているソバから口の中で味が再現されてしまっている。これは歯がゆい。

思い出の味というのは、人生の中に何種類もあると思う。特に、誰かと話題を共有できる味や風味というのは、実際には味以上のことを思い出すことが多く、様々な記憶、心情が想起される。朱華園の中華ソバは、ソウルフードと言うには、まだまだ食べ足りない気がしており、休業は残念である。もし再開することがあれば、家族で是非行きたいと思う。

以上、建設システム工学科 渡部でした。

「母の日」に思う

田村修一

 私がこれまで聴いてきた音楽のなかでも最も衝撃を受けたものの一つに、ジョン・レノンのアルバム、邦題『ジョンの魂』(1970年発売、私が購入して聴いたのは1975年)がある。このアルバムは「母」(シングル盤では「マザー」という題であったが、当時のLPレコードのアルバムでは「母」の邦題であった)という曲で始まり、「母の死」で終わる。このアルバムはビートルズ解散後の、実質的にジョン・レノンのソロアルバム第1作と位置付けてよいものであるが、「ビートルズ」という巨大な虚構を自ら単身で叩き壊しているような凄味があった(「母」は発売当時イギリスのBBCやアメリカで放送禁止の指定を受けたとも聞く)。

 ビートルズのジョン・レノンとポール・マッカートニーの2人は10代で母親を失うという共通した体験を持っている。ポールについて言えば、彼のビートルズ時代の名曲 ‟Let it be” の歌詞のなかの “Mother Mary” は、「聖母マリア」と翻訳されていることが多いけれども、Maryはポールの実母の名でもあり、これは彼の実母を指していると解釈した方が良さそうである。またやはりポールの名曲 ‟Yesterday” も一見(一聴)失恋の歌ではあるが、実は母親を失った悲しみを無意識的にこのような形で表現したのではないかというようなことを、最近のポール自身が語ったとも聞く。

 さて私の場合であるが、私の母は5年前に他界した。ちょうど本校は夏休みのときで、亡くなる4日前から私は病室に寝泊まりし、また臨終の際も荒くなっていた呼吸が急に弱くなり、「その時」の訪れがはっきりわかる亡くなり方であったので、私と私の姉が懸命に声をかけるなか、眼に涙をいっぱいにためながら逝ってしまった。その涙にどういう感情が込められていたのか、あるいは単なる生理現象であったのかどうかは分からない。しかしじっくり看取ることができ、私は55歳であったし、母との永遠の別れ方としては非常に幸運な方であったとは思う。

 その母であるが、特にその前半生は数奇な運命をたどっている。母は昭和7年に4姉妹の3女として生まれ、物心のついたときには、台湾の高雄にいた。しかし昭和10年に母の母が亡くなり、母の父は後妻をもらったのであるが、その後妻にも女子の連れ子があり、5姉妹となってしまった。そこで私の母か、その上の姉(次女)のどちらかを養子に出そうということになったらしい。私の母も、その上の姉も継母を嫌っていたので、二人とも養子に出ることを希望し、じゃんけんで決めることとなった。その結果は私の母の勝ちで、私の母が養子に出されることになった。初めは台湾の嘉義在住の裕福な家庭へ養子に出されたが、そこの家庭の夫妻の離婚などのトラブルがあったらしく、いったん実家に戻され、しばらくして沖縄の那覇で料亭を営むM家へ養子に出されることになった。

 Mの家庭については母からいい話を聞いたことはない。「女は勉強などしなくていい」などとさかんに言われたとか。昭和19年10月10日、沖縄の人たちには「じゅうじゅう空襲」の名でよく知られる、那覇が壊滅的な被害を受ける米軍の空襲を母も体験した。私が母から聞いた記憶によれば、このとき母はM家に見捨てられたらしく、近所の人に手を引かれて沖縄本島北部の国頭というところに疎開したそうである。リアルな沖縄戦は体験しなくてすんだようである。戦闘が終わって家に戻ったときには、母が生存していることにM家の人々は驚かれたとか。

 母の「学歴」は実質小学校6年の秋で終わってしまったため、その事に対し母はコンプレックスを持っていた、機嫌の悪いときには、私や私の姉は「お前たちは存分に勉強できて幸せだ」というようなことをよく言われた(そのことに「幸せ」を感じたことは少なくとも私にはないのであるが)。しかし母は主体的に読書をしたり文章を書いたりすることはほぼ皆無で、「知的」な人間ではなかった。年老いてからも幼い頃に亡くした母が恋しい、とよく嘆いていた。私が高校生の時分には、すでに精神年齢としては母を超えてしまったような感覚があった。子供がそのまま婆さんになってしまったような人で、1人で死なせてはならないような責務を感じていた。幸い、そのことで後悔する結果にはならなかった。

 母には謎があって、出生した場所も分からなかったし、戸籍上は(よって保険証など公的書類すべて)昭和6年生まれとなっていたが、「実は私は昭和7年生まれで申年だ」と主張していた。母が亡くなった後、書類など整理していると、戸籍の昔の青刷りのコピー(M家養子入り後のもの)が出てきて、それにも昭和6年生まれとなっている。しかし、M家の養子となる前の父母の名前が、事実とは違う名前が記されている。そして、この戸籍は戦後、再提出されたものであることの記載がある。どうも沖縄戦により、那覇市役所にあった元の戸籍はすべて焼失したらしく、おそらくM家は少しでも早く母を働かせるために、1歳年上に鯖を読んで市役所に再提出したものと推定される。

 母が亡くなって1年後、熊本でまだ存命であった母の姉(戦前にじゃんけんで母と生き別れとなった次女)つまり私の叔母を訪ね、いろいろ尋ねたり、またそこには母の元の実家の原戸籍のコピーがあったので、謎はほぼ解けた。母の出生地は大阪市港区弁天町とあり、母の記憶通り、昭和7年生まれであった。妹(4女)は昭和10年台湾高雄市の生まれとなっている。母の実父のルーツは福井県(嶺北)であるということは母からも聞いていたが、母の実父は大正期に大阪へ出て、九条通りあたりで商売をしていたらしい。結婚相手(つまり私と血のつながった母方の祖母)は、大阪中之島の服部ハナヱという女性であった。母は大阪を下品だと言って嫌っていたが、ちょっと皮肉な結果であった。私自身についても、4分の1は大阪人の血が入っていることが判明したわけである。

 母の父は喘息持ちであったらしく、南の暖かい地域の方が良かろうということで台湾に渡ったようである。「山月記」で有名な中島敦も喘息持ちでパラオに渡っており、戦前には、喘息の持病を持っている人が日本統治領の南方・南洋に渡る事例が相当数あったものと思われる。戦後、元の母の実家は台湾から内地へ引き揚げることとなったが(引き揚げ港は広島県大竹)、私の母は米軍統治下の沖縄に残されることとなった。

 私が10代の頃までは「親孝行したいときには親はなし」という格言を良く聞かされたものである(「親孝行したくないとき親がいる」という罰当たりなパロディをのたまう輩もいた)。現在では高齢化社会が進行し、そのような格言のリアリティは希薄になったような印象もある。しかし55歳にして母を失っても、それ以降は、母が生きていたかつての世界とは違う世界に生きているという感覚から私はのがれることができない。

 「賽の河原の石積み」の話など授業ですることはあるが、親子関係、家族関係は千差万別、人それぞれで、なにか教訓的なメッセージを発しようという気はないのであるが、「母の日」のある今月、私のとりとめのない思いを綴ってみた。(をはり)

寮生会の新歓の寸劇を観て

こんにちは~

機械工学科・教員の村上です。

4月の寮生会の新歓イベントで、指導寮生が挨拶指導の一環として、挨拶をテーマにした寸劇をやっているのを観させてもらいました。(観ていない人もいると思うので簡単に内容を紹介すると、挨拶しない下級生・すれ違う上級生の反応を、色々なパターンでネタにする、という感じです。)

私は高校で演劇部に所属したので、演劇に対しては一家言あるのですが、指導寮生の寸劇は率直にとても面白かったです。今回の新歓だけでなく、スポーツフェスタの選手宣誓やサマーフェスティバルなど、高専にも意外と演劇要素が多い(?)と感じています。私の高校は男子校でしたが、舞鶴高専も男子学生の方が多いからか、観客を盛り上げるためのネタの選び方が皆さんとほぼ同じだったので、観ていて懐かしさがありました。

しかし、

(1) やはり女子学生がいるので、男子オンリーのときと比べて、必然的にネタやセリフの選択に制約をかけなければならない。

というのを、経験者からのアドバイスとして送りたいと思います。見ているお客さんすべてのことを考えなければなりません。そもそもテレビ等を観ていても、いわゆる下ネタや「いじる」など、簡単に盛り上がる・笑いがとれる手法を使い過ぎだと思います。こういう安直な手法に頼りきりになると、ネタを考える力が退化してしまいます。

もう一つのアドバイスは

(2) 舞台からはける(去る)とき、袖幕(ステージ両サイドの幕)に触らないように気をつける

ということです。なぜなら、幕が揺れて観客の注意が削がれてしまうからです。(入学式や卒業式といった式典でも幕が揺れまくっているので、いつか教職員にも伝えたいと思っているのですが…)

新入生の皆さんの中には、サマフェスなどの演劇的な要素があるイベントに対して、抵抗感を持つ人もいると思います。しかし勇気を出してやってみると、人前で演じる経験から色々なことが得られると思います。

とりあえず自己紹介を兼ねての投稿でした。 ではまたの機会に~

妄想に動かされる私

本当は先月のブログ担当だった牧野です。こんにちは。
「本当は」という言葉の背後に、大人の事情を読み取ってくれると嬉しいです。
端的に言えば、もたもたしていたということです。

さて、最近歳を取ったせいか、涙もろくなってきました。
見え見えのお涙頂戴テレビ番組でも、素直に泣くことができます。
優秀な探偵たちが何かしらする某番組を見ていて、涙もろいことで有名な探偵局長が泣いていない事案でも涙をこぼしている自分がいて、少々引きます。
「涙もろいとか言っているわりに学生にはドライだな」という正当なツッコミは、この際無視します。大人ですから。

もともと、物事に過剰な感情移入をするクセがあり、勝手な妄想を繰り広げ、勝手に盛り上がることが今でもよくあります。
感情移入する対象は人間だけではありません。
動物や植物になることもままありますし、本気になれば無機物の気持ちにもなれます。
割れた皿の気持ちになり、人間界への復讐を決意することなど、造作もありません。
「妄想に使う頭を仕事に使ったら?」という正当なツッコミも、私の耳には入りません。大人ですから。

こうしてみると、妄想することで泣いたりできるのですから、逆に暗い気分になったり落ち込んだりした際に、妄想によって自分の気持ちを無理矢理明るくすることもできるのではないでしょうか。
つまり、妄想癖を利用することで、自分の感情をある程度操作できるかもしれないわけです。
こうした仮定に基づいて、「単純な作業を行って、妄想の材料を頭の中で作り上げ、妄想を繰り広げる」という実験を行い、楽しい気分になれないかを試してみました。
その作業とは、「目に映る言葉の後ろに、「番長」を付ける」というものです。
ツボに入る「番長」が見つかれば、その時の自分の気持ちは少し明るくなっているはずです。

とりあえず、いま私の目の前にあるもので、ちょっとやってみましょう。
・ハンバーグ番長(多分、わんぱく)
・キリシタン番長(隠れたりなんかしないぜ!)
・のどあめ番長(荒々しくも、のどすっきり)
・鳥獣害番長(敵かな?味方かな?)
・あかちゃん番長(ばぶぅ!)
基本的には、長ラン・学帽・下駄あたりのアイテムをそろえた大柄の男性で妄想すると、どの単語でもある程度珍妙になります。
どうでしょう、少し楽しい気分になれませんか?

自分の感情をコントロールするのは、非常に難しいです。
「明るい気分になあれ」と祈ったところで、気分を変えることなどできません。
ですが、気分を変えたいときに行う作業を決め、それを行うことで妄想を広げるという手順を持っていれば、祈らなくても気分を変えることができるようになるかもしれません。
ぜひお試しあれ。

でも、授業中はやらないようにしてくださいね。

段取り八分とNo Plan

今回のブログの担当は建設システム工学科の毛利です。

月日が経つのが早く,いつの間にか春休みになってしまいました。長期休みに入ると,最低1回,旅行に出かけます。もちろん一人旅。あまり語るほどの旅ではないのですが(この学校には旅行の経験に関してすごい人ばかりなので聞いてみるといいですよ),強いて特徴を挙げるとすれば,わざと無計画で行くところです。

仕事や研究においては計画的に物事を進めることが求められます。入念に準備をして事に当たるべし。そのことを表す標語として,タイトルに使った「段取り八分」があります。段取り(事前の準備)が仕事の八分(8割)を占めているという意味で,以前勤めていた建設業界ではよく言われている言葉です。準備をして方針を立てていれば,いざ工事でトラブってもうまく軌道修正できることを私も経験してきました。

私の性分は,悪い意味で,几帳面,生真面目,完璧主義ですので,日常では段取り八分を過剰に意識して仕事,研究に取り組んでいます。それはそれで,計画,準備通りに事が進んだ時の快感やトラブルをうまく回避できた時のしてやったり感を味わっているのですが,そればかりだと考えすぎたり心配しすぎたりしてこころがしんどくなることがあります。そこで,旅に出ます。

どこかに行きたいという気持ちは日ごろから持っているのですが,わざと計画を立てません。余裕のある時にふとカレンダーを見て,今週末に以前ツイッターで見たあそこに行こう,などと目的地を決めます。移動手段は様々です。歌を歌いたいときは車,読みたい本があるときは電車,何もしたくないときは何かするとすぐ酔う高速バス,という感じで決めます。大人になって,宿に泊まることを覚えましたが,学生の頃はネットカフェか夜通し走ってとんぼ返りか車中泊でした。最近は地図アプリが便利なので「どこにいるのか分からない」感を味わうことがなかなか難しくなっていますが,移動中,目的地までの寄り道を開拓するのには役に立ちます。かっこいい建築物やシブい町並み,うまいラーメン屋に巡り合えたら最高です。

そして,最後にちゃんと戻ってきます。戻って,経路をおさらいしたり,撮った写真を眺めたり,人に土産話するまでが旅です。あと,旅の経過をSNSでリアルタイムに報告するのは一般人がやると危険なのでやめたほうがいいですよ。

と,ここまで書いてみると,案外普通のことを言っているに過ぎないと感じてしまいました。この程度のことなら学生の中でも経験済みの人がいることでしょう。しかし,一見平凡な旅でも私からすると,意識的に無計画に事を進めて「何も考えんでもなんとかなる」ことを再確認している気がしています。仕事では段取り八分は好きですが,人生としてはNo Planが好きな気がします(年取ってこんなこと言うと皆に心配されるけど大丈夫)。

帰省

今月のブログを担当する自然科学部門(保健体育)の木村です。

年末年始に実家のある愛知県へ帰省しました。ここ15年位は帰省すると必ず会う友人がいます。いつも会う日の昼頃に思い出したように連絡して、夜に会います。会う場所は私の実家から徒歩5分ほどのラーメン屋です。しかし、そのラーメン屋ではラーメンを食べません。唐揚げとつまみ(玉ねぎスライスとチャーシューの端を皿に盛ったもの)、どて飯(名古屋飯;“どて”とは牛すじとホルモンの味噌煮込みのこと。ねぎ盛を添える)を食べます。その店以外でそういった注文(赤ちょうちん的な注文?)をすることは絶対にないのですが、なぜかそのラーメン屋でその友人と会うと同じ事をしてしまいます。歳を取ったからでしょうか?

帰省すると、とてもとても暇になります。今年は対策として本をいっぱい持って行きました。私の実家は作りが古いのかとても寒いです。舞鶴の家の方が絶対暖かい。私は帰省初日の夜に風邪を引き、翌日病院で薬をもらって1日中寝込んでいました。そんな寒いし落ち着かない実家で本など読める訳はなく、最近地元にできた路面店型のスターバックスに2日に1回の頻度で行っていました。帰省の意味が全くありません。

大学時代は下宿でしたが年末年始に実家には帰っていませんでした。部活動はすぐ始まるし、試験のための勉強で毎日が大変だったからです。社会人になっても帰省するという習慣はありませんでした。帰省するようになったのは結婚したのがきっかけかもしれません。やれ嫁を連れて来いとか、孫ができてからはいつ実家に来るかと聞かれることが多くなりました。

私は年末年始が一年の中で一番好きです。日本人の大半がお休みする雰囲気が好きです。道路にはトラックなど働く車が無く、幾分空気も澄んでいるような感じがします。働くのは嫌いではありませんが、休みがあるから働けると思うようになったのは歳を取ったからなのでしょうか。いや、私を取り巻く環境が変わったからだと思います。もともと私は唯物的な考えが強いので年が変わっても別に本質的な事は何も変わってないと考えます。しかし、周りの雰囲気や取り巻く環境が私の考えに影響を与えてくれると感じることが増えてきた気がします。今さら!?と思われる方もいるかもしれませんが、まぁ、事実なので仕方ありません。この先も私がどのような事を考えるようになるのか楽しみです。

帰省というトピックから頭の中にある事を書き出してみました。

写真と研究を結びつける...

今月のブログ担当は,電気情報工学科の井上が担当です.

今年の夏,「旅」を題材としている2つの写真展を訪問する機会がありました.国内を含め,世界にはまだあまり知られていない,不思議な景色を見ることができる場所があることがわかりました.

時々,舞鶴市内で撮影をしたりもするのですが,カメラで撮影し,コンピュータで現像し,最後に完成する写真は,納得できる写真もある一方で,納得できない写真もあり,別な日に,もう一度,撮影し直すことさえあります.また,天気,その場所の音,その瞬間の感情などの様々な要因で,同じ景色を撮影することが難しいと感じています.ある日,プロジェクションマッピングのデザイナーの方が,「その日の気持ちによって,見栄えが変わってきます.」というお話しをされていました.

私の研究が,光を感知したり,情報を伝達したりするタンパク質を研究していることもあり,そのお話とどうしても結びつけて考えてしまいます.非常に嬉しいとき,悲しいとき,気持ちに余裕があるとき,忙しく仕事に追われているときなど,それぞれ,写真や景色の見え方に変化があるのは,それらのタンパク質の巧妙な働き方が要因の一つだと感じています.

いよいよ,今週から冬休みに入りました.もし,冬休み中に,良い景色に出会えることができた際には,冬休み明けに私に教えていただければと思います.

(「旅」を題材とした写真集を保健室に置いてありますので,ご覧になっていただければと思います)

大事なことは全部アニメに教わった

皆さま、秋の夜長をいかがお過ごしでしょうか。学生相談室長の児玉(今年が大厄)です。今回、学生相談室のブログを開設するということで、栄えある初回の投稿を担当することになりました。


最初に何を書くべきか迷いに迷ったのですが、ニート歴半年、フリーター歴4年半、職務質問経験5回(うち1回は中国・北京の天安門。あの時はマジでヤバいと思った)、「自分探しの旅」経験豊富などなど、それなりに挫折や悲哀を経験してきた身として、凹みそうになったときに見たらちょっとだけ元気が出るオススメのアニメを紹介したいと思います。


モヤモヤしてる人、ちょっくら悩みを抱えてる人、物事が思い通りに運ばない人、ぜひ騙されたと思って手にとってみてください。

1.『十二国記』(2002年、原作:小野不由美)
全く将来展望が描けない、人生のどん底にいた大学院時代に出会った作品。どう生きるかを決めるのは自分自身であり、誰かによって左右されるものではない。どんな逆境にあっても自分らしく生きよう、そんな風に思わせてくれた、僕にとって座右の一作です。

2.『やはり俺の青春ラブコメは間違っている。』(2013(第1期)・2015年(第2期)、原作:渡航)
世間に対して斜めに構えてきた自分的には、「ああ、それわかる!」という箇所が随所に出てきて溜飲が下がります。自分より年下の作家が書いたラノベで、「これはすごい!」と感じたのはこの作品が初めてじゃなかったかな。ちなみに人生いろいろ達観してくると、いろはすの良さが分かってきます。

3.『プラネテス』(2003-2004年、原作:幸村誠)
某公共放送臭さをとっつきにくく感じる人はいるかも知れませんが、完成度の高い作品です。何かを追いかける姿とか(無様だけど憧れます)、登場人物が時折見せるきっぷの良さとか、ベタな人情味とか、「組織」ってもののどうしようもなさとか、そういうのがうまく散りばめられてます。個人的には、ロックスミスさんとかクレアさんとか、いろいろアレな人たちに惹かれますね。

4.『とある科学の超電磁砲』(2009-2010年(第1期))
「何を学ぶべきですか?」という学生からの問いに対して、とりあえず「パーソナルリアリティ」と答えることにしてますが、そのネタ元が本作品です。主人公の強さは、日陰者な人生を送ってきた僕には眩しすぎますが、何かしらコンプレックスを抱えたサブキャラの葛藤と、それでも前を向こうとする姿は、見ていてほっこり、救われる思いがします。

5.『STEINS;GATE』(2011年)
「最初の自分を騙せ、世界を騙せ」。実は、年度当初の全校集会でこの台詞をぶちかますつもりだったんですが、直前で日和ってしまいまして(笑)。確定した過去を変えずに結果を変えることって、たぶん不可能ではなくて。世の中の見方や自分のあり方を変える、そのための方法を身につける、そういう発想の転換とスキルを我が物にできると、今後の人生で強力な武器になると思います。

番外.『響け!ユーフォニアム』(2015年、原作:武田綾乃)
本校が京都府にある以上、やはり京アニ作品を一つは入れておかないと。この作品を見て、思わず宇治橋で「うまくなりたい」と叫んだり、大吉山(仏徳山)に登ったりしたのはここだけの秘密です。悔しくて涙を流せるのって、本気で戦った証ではあるわけで、そういう経験、僕はけっこう大事だと思ってます。ちなみに、本校吹奏楽部顧問の某先生も、「なんですか?これ」って言わせたらけっこう怖い気がします。

他にもまだまだオススメしたい作品はあって、ここまで削るのも断腸の思いだったので、続きはまたどこかで。

最後に一言。こんな人間でも社会人やっていけてるんだから、どんな人だって誰だって、なんとかなります、たぶん。